しげおかくんをすきになれない
タイトルだけ見たらアレなんですけど、きらいとか生理的に無理とかそういう意味ではないです、一応念のため。
もう二年も前に私はこんなブログを書きました。
しげおかくんをすきになりたい - キャラメルボイスのタイムトラベラー http://eightxjohnnist.hatenablog.com/entry/2016/02/23/185331
それから今までずっと、
しげおかくんの
「この表情がすき」とか
「このパーツがすき」とか
「この動きがすき」
とは言ってきましたが、しげおかくん自体についてすきだとは口にしてきませんでした。
自分のログ見てもそうでした。
しかし、あまりにもすきだということに抵抗がありすぎるため、前回ブログに書いたことでそれが己への呪詛になって、勝手に縛り付けているんだとも思うようになりました。
ハリーポッターの「名前を呼んではいけないあの人」みたいな。
それに加え、最近もうひとり応援したい人ができて、想いの形が違うこともあるけれど、その人にはまだ軽率に好きだと言えることに対して「ふたりともすきだと言えたら楽なのに」とふと思ったこともありました。
でも一昨日名古屋のレポを見て、あぁやっぱり私は彼のことをまだすきだといえない、と思いました。
しげおかくんが
「あ~人生イージーモードやなぁ」
って言ったと聞いて。
だってイージーモードな訳ないじゃない。
きっと、多分、確実に、私なんかよりずっとハードモードな経験を山のようにして生きてきてるはず。
なのに、あんなに簡単にイージーモードだって言ってのける。
ネットスラングのひとつとして言っただけかもしれないけれど、そう思えることができながらアイドルとして過ごしてくれていることが嬉しくて、妬ましくて、苦しかった。
どれだけしんどいことがあっても、苦しい日々を過ごしても、嫌な経験をしても、結果良いことがあればオーケーやん!みたいに言われている気がして、どうしようもなくなった。
ずっと辛い辛いと思って生きるよりそういう風に考える方がいいことは十分理解しています、頭では。
でも理屈は分かっていても、実際にそう生きることは、そう言い切れることは、本当に難しい。
私が割とポジティブに生きているつもりだから尚更そう感じました。
ポジティブ気味な人間の私でも、
「私の人生はイージーモードだと皆の前で笑顔で言い放つことができるか」
と自分に問いたら、最終的にどうにかなったことでも、しんどかった事実が頭を巡って、即座に
「ああイージーモードだ」
と返すことはできなくて。
結果
「平均的に言えばイージーな方に部類されるのかもしれない」
というなんとも歯切れの悪い回答になりました。
皆が頭で分かっていてもできないことを、彼はどんどんやってのける。
たった三つしか年の離れていない、兵庫の男の子が。
青春をすべてを不確実な世界に捧げて、
不言実行を貫いて、
舞台の端っこから関西Jr.のゼロ番にのし上がって、
不条理な事実に誰よりも止まらず突き進んで、
京セラドームのステージから10年前の自分に手を振った彼。
嗚呼、どんなに強いのか。
私は彼が数え切れないほどにアイドルを生業とした人生というものを繰り返してきたのだと思うことが何度もあります。
何度もその世界を生きて、粋も甘いも苦いも数え切れないほどに経験して、山ほど失敗して、試行錯誤して、どうにか思い描く世界に少しずつ近づけていこうと記憶を残して転生を繰り返しているような、そんなお伽話のような人生。
それくらい経験していないとそんな風に居ることはできるはずがないと思うほどに、25歳の彼から生まれるものはすべてが強い。
彼はきっと、今までの人生は決してずっとイージーモードではなかったことを知っている。
でも彼自信の口から出る「イージーモードやなぁ」に匹敵する魔法の言葉はきっと無い。
本当はイージーじゃなかったとしても、彼が片えくぼを見せて白い歯を見せながらそう言ってしまえば、世界はそう変わっていく。大きすぎる力。
彼は私にとって天から注ぐ太陽の光のように、遠く、眩しく、あたたかく、熱く、エネルギーに満ち満ちていすぎる。
だから、毎度日が昇る度に、椅子の上に立ってみて、家の一番高いところにのぼってみて、坂道を駆け上がってみて、手を伸ばしては、「やっぱり今日も届かない」と嘆息する。
でも、彼が私の中で太陽のようにいることは、今私が生活している上では重要な位置であるのだろうと思うのです。
太陽がなければこの場所で生きることはできない。
太陽が隠れて見えなくなれば暗くて寒くて不安になる。
でも(未来はどうなるか分からないけれど)今確実に太陽は存在しているという安心感があって、太陽の強すぎる光と熱すぎる温度を身に受けるには私がいる地点くらいが合っている。
それが今の私から見たしげおかくんへの距離なんだと思います。
だから、私はまだ手を伸ばしても到底届かないところにいて、太陽の欠片を掴んですきだということもできません。
火傷して溶けてしまうから。
いつになったら、どうしたら、すきになれるのでしょう。
なんだか二年前よりさらに遠ざかってしまった気がするけれど、
いつか、胸を張ってあなたが好きだと言えますように。